ジョージ・ソロス
【相場師列伝】 イングランド銀行をつぶした男「ジョージ・ソロス」の投資哲学:株/FX・投資と経済がよくわかるMONEYzine
【相場師列伝】 イングランド銀行をつぶした男「ジョージ・ソロス」の投資哲学:株/FX・投資と経済がよくわかるMONEYzine
今回取り上げるのは、ジョージ・ソロスです。ヘッジファンを率いてデリバティブを駆使し、空前の利益を毎年のようにたたき出した相場師です。彼の数あるエピソードの中でも有名なのはやはり「ポンド売りでイングランド銀行を破産させた」というものでしょう―。(バックナンバーはこちら)
一貫した思想を持つジョージ・ソロス
今回も引き続き歴史上の偉大な相場師を振り返るシリーズで、ジョージ・ソロスを取り上げます。まだ現役なので歴史上と言ってしまうには問題があるかもしれませんが、その輝かしい実績は歴史に残るのは間違いないところでしょう。僕は個人的には相場にかかわる人の中で最も好きな人物です。
今年の金融危機においても、最近米議会の公聴会で証言をしました。以下に少し引用します。
同氏は「人為的規制で市場の流動性を低下させるべきではない」と強調。緊急首脳会合(金融サミット)などで浮上する市場規制強化の行き過ぎに懸念を表明した。 ( 引用ここまで、全文はこちら [日経新聞2008年11月13日] )
「人為的規制で市場の流動性を低下させるべきではない」という信念はソロスの一貫した思想です。ソロスのもっとも有名な取引である、イングランド銀行にケンカを売ってポンド下落を勝ち取ったエピソードもまさにこの信念を体現したものでした。
ソロスは1930年にハンガリーで生まれました。第二次世界大戦(1939-45)では9歳から15歳だったことになるので少年時代は決して明るいものではなかったはずです。ハンガリーは枢軸国側で参戦したため、戦争末期の1945年にはソ連の侵攻で母国が戦場になった上、政府が転覆して共産主義政権(事実上ソ連の傀儡政権)が成立する動乱がありました。
さらに、戦争直後の1945~46年にかけて、ハンガリーはすさまじいインフレに襲われ、物価はなんと「1垓倍」以上になりました。1垓は10の20乗です。別の書き方をすれば、1垓は10000京、1京は10000兆、1兆は10000億です。
こういう状況では紙幣や銀行預金は物凄い勢いで価値がなくなるので、持っていても意味がありません。ソロスの少年時代にこういう現象を経験したということは、経済や相場に対する考え方に大きな影響を与えたのは想像にかたくないところです。
余談ですが、このハンガリーのインフレはつい最近まで人類史上最も大きなインフレでしたが、ここ1~2年のジンバブエではそれに匹敵するインフレが起きています。この原稿を書いている時点ではまだだと思いますが、ジンバブエのインフレはまだ収まる気配がないのでハンガリーを超えるのは確実な情勢です。
さて、ソロスは共産主義を嫌って1947年にハンガリーを脱出してイギリスに逃れ、大学で経済学の勉強をしたのち相場の世界に入ります。1956年には拠点をウォール街に移し、成功を重ねていくことになります。
今回紹介するエピソードは1992年のいわゆるポンド危機です。
通貨・金利・景気の基本的な関係
ポンド危機のエピソードをお話しする前に、その前提として通貨・金利・景気の基本的な関係についての理解が必要なのでそれを簡単に説明しておきます。
原則1 金利が高い通貨は強く、安い通貨は弱い
これは非常に単純です。高金利の通貨は、低金利の通貨の国から見ると利回りがよいので投資を呼ぶことができ、その結果高金利通貨への買い圧力によって通貨自体も高くなります。日本でも豪ドルやニュージーランドドル建ての金融商品の案内はよく目にしますね。なので、政府は自国の通貨が安くなりすぎると利上げで短期的に対抗措置をとります。
原則2 為替が固定相場制なら金利も固定
たとえば、もしドル/円相場が固定されていて、日本の銀行に預けると金利が1%、アメリカの銀行だと2%だとします。このときは、手持ちの円資産を全部ドルに換えるほうが絶対に有利なのは分かりやすいと思います。固定相場制なら為替レートの変動による損を心配する必要がないからです。さらに、ドル建ての借金を抱えている人は、金利の安い円で借りてそれでドルを買って返済するのがよいこともわかります。
問題は、このような状況下ではドル買い・円売りの注文ばかりでこの取引に応じる人がおらず、為替取引が成立しないことです。なので、貿易や投資活動を円滑にするには、為替を固定するなら金利も同一水準にしなければなりません。
変動率を一定以内に規制するような、固定相場制と変動相場制の中間のような場合もありますが、それでも金利の高い通貨に過剰に買いが集中するという傾向は変わりません。相場を固定するなら金利を同一にする圧力が働きます。
原則3 金利を低くすると景気が良くなる
金利が低ければ、銀行に預金したり国債を買ったりといった安全な運用の魅力が薄れるので、株式のようなリスクの高い投資の意欲が高まります。また、金利が低ければ借金がしやすくなるので企業も設備投資がやりやすくなり、景気が良くなります。金利を高くすれば、まったく逆の理由で景気が悪くなります。
原則4 金利を低くしすぎるとバブルを誘発する
金利を低くすると投資が活発になりますが、それは株式や不動産への過剰な投資、すなわちバブルと表裏一体です。ひとたびバブルが破裂すると影響は大きいので、政府や中央銀行はそれは避けるような水準に金利を誘導しようとします。なので、バブルの兆候が見られる場合は景気減速を覚悟してでも早めに金利を上げようとします。
ソロスが目を付けたイギリス病
さてここからが本題です。
1989年にベルリンの壁が崩壊し、翌1990年に東西ドイツは統一を果たします。すると、経済的に立ち遅れていた旧東ドイツ地域への支援のためドイツの政府支出は増大し、ドイツにインフレの兆候が見えてきます。そのためドイツ政府は利上げをしてこれに対応しました。(上記の原則4です)
一方、当時のヨーロッパにはERM(欧州為替相場メカニズム)という機構があり、ヨーロッパ各国間の為替レートの変動率を規制していました。当時はユーロ導入前なので、各国は別々の通貨を持っていました。ドイツはマルク、フランスはフラン、イギリスはポンドです。
変動率の規制だけなので固定相場制ほどではないにしても、金利を一致させようとする力が(上記の原則2によって)働きます。
このころのイギリスは不況で、経済は低迷していました。いわゆるイギリス病の末期(結果的にはソロスがそれに終止符を打つのですが)です。
1992年、ここにソロスは目を付けます。
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