ぴいぷる this weeek
びー・えぬ・えふ(本名非公表) 個人株式トレーダー。1978年3月5日生まれ、29歳。千葉県市川市出身。大学在学中の2000年10月、ネットによる株取引を開始。5年間で160億円まで増やした。05年12月8日、みずほ証券が新規上場のジェイコム株を「61万円で1株」を「1円で61万株」と誤発注したのを見逃さず、わずか10分間で22億円超の利益をあげ、世間の注目を集めた。
現在は、高級マンションの最上階の1室を購入し、億単位のデイトレードを続けている。B・N・Fは尊敬する米国人投資家、ビクター・ニーダーホッファーの頭文字をもじったハンドルネーム。
矢継ぎ早の質問にも表情をほとんど変えず、やや早口でズバズバと答える。肌は生白いが、目つきは鋭い。一日中、5つの画面に映し出される数字やチャートをにらみ見続けているためか。愛想笑いなどは、とうに忘れてしまったかのようだ。
「株を始めて約7年、まともに家から出ていません。取引時間以外は、インターネットしているか、テレビや漫画を見ているだけ。これでも小学生のころは少年野球、中学・高校は短距離走をやっていて、日焼けした健康的なスポーツ少年だったんですけどね…」
やや光を落とした部屋の中、淡々と話す青年の後ろから放たれる5台のモニターの光が妙にまぶしいが、それは画面の光というより、そこにさりげなく表示されている“数字”のせいだろう。
「19,465,864,683」
これが、「ジェイコム男」として名をはせた、この青年が所有する現在の総資産だ。
「天才とは10億円の資金を1000万円と同じ感覚で動かせる人だと思っていたころは、10億円が夢の数字でした。でも、3億円を超えたあたりでだんだん感覚がまひして怖くなってきました。いまの僕の中での天才の定義は、『500億円を1000万円と同じ感覚で…』ですかね」
大卒サラリーマンの平均生涯賃金が3億1000万円、昨年公開のポケモン映画の興行収入が50億円、イチローの契約金(5年)が120億円だ。しかし、何の数字と比較しても、目の前の29歳の“ニート青年”が築き上げた「190億円」の感覚は分からない。
【引きこもり】
千葉県の平凡な家庭で育った青年は1990年、一浪の末、有名私大法学部に入学。サークル活動は一切やらず、友達もごくわずか。いまほど普及していなかったインターネットにハマリ、株のネット取引を知る。アルバイトやお年玉でためていた160万円を元手に、たちまちのめり込んだ。大学は、わずか2科目を残したまま、2年留年の末に中退してしまったが、その時点で資産は1億円を超えていた。
「当時は、いまのような生活などまったくイメージしていませんでした。コミュニケーションが苦手なので、普通に卒業してマッサージ師を目指していたと思います。僕、マッサージが得意で、昔から『うまいうまい』ってほめられていたんですよ」
現在の自分を“引きこもり”と自称し、自分のような生き方は絶対に人には勧められないと言う。毎日午前9時から午後3時まで、食事もロクにとらず、ひたすらパソコンと向き合う日々。取引終了後には、肉体的にも精神的にも限界に達し、一時は座りすぎで腰を痛め、一歩も歩けない時期もあった。それでも株をやめられないのには理由がある。
【やめるとき】
「億の金額を毎日運用していると、もうかるときは大きいですけど、損するときもアッという間。この精神状態は本当にキツイですよ。でも、やめたらやめたで、値動きが常に頭に入っているから、もうけ損なうことが損したのと同じ気分になっちゃうんですね。可能性が目の前にあるのに無視するのは損するのと同じ。未練が残るのがイヤだから、惰性で延々と続けているだけなんです」
やめるときは、大きくもうけた、あるいは損したといった理由ではなく、体力的な衰えを感じ「これ以上やってももうからない」と感じる瞬間だろうという。
【自分の価値】
それにしても-。わずか7年間で190億円の資産を築いた男は一体どんな人生哲学を持っているのか?
「部屋に閉じこもって株やっているだけで、世間のことは全然分かっていません。人生経験が何百倍も豊富な人たちにアドバイスするなんて、おこがましいですよ。金があるというだけで、自分にそんな価値はありません」
何を聞いても明快に即答。だが、最後に聞いた質問は唯一、5分以上沈黙した末、最後まで答えられない問いかけとなった。
「B・N・Fさんにとって、お金とはどういう存在ですか?」
“大金持ち”を最後の最後に困らせたうれしさから、帰り際に思わず「頑張れ、目指せ1000億!」とぶつけたら、初めて、はにかむようなカワイイ笑顔を見せてくれた。
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