2000-09-25

清春さま

>日本はホントはなんにも豊かではなかったのに・・・。
>むしろ日経平均を10万円にして、その国富をバックに
>IT投資をやらねばならなかったのです。
>アメリカは数千ドルだったダウを一万ドルにして
>その国富をバックにIT革命を成功させました。

あはは (^_^;) 清春さまらしいご意見ですね。

個人的には、
日本はホントは豊かではなかったから日経平均は化けの皮がはがれて暴落し、アメリカはホントは豊かだったからNYダウは上がったのだ、と思います。

ずっと思っていたんですが、、、相場とは何か、という根源的な世界観が清春さまと他のみなさまの間で微妙に食い違っていて、そのあたりが、いろんなトラブルの遠因にもなっているのではないかと。

相場神聖論
相場とは、不特定多数の売り方と買い方の、個々の主体的な判断の集積が値動きとなって現れてくるものである。仕手の介入は、株価の自然な動きを阻害し、一時的にせよ市場の機能を低下させるので好ましくない。しかし、そういう人為的な相場操縦は長続きしない。遅かれ早かれ、積み上がった仮需要・仮供給は剥げ落ち、人気は離散する。
そして株価は「神の見えざる手」に導かれ、新たな需給の均衡点をめざして再び自律的に動き始める。

相場人為論
相場とは、人が作るものだ。誰かが積極的に旗を振り、先頭に立たなければいかに良い株でも上がりはしない。相場をいかに自分の都合の良いように動かすか、証券会社もディーラーも仕手筋も、みな知恵を絞っているのだ。
相場の分析とは、それら主要プレイヤーの腹を探り、動きの真意をつかむことが第一である。チャートなど軌跡に過ぎないし、そもそも力のあるプレイヤーは、チャートを作って大衆を引き込むことすらやってのける。

どちらが正しいとか、そういう問題ではありません。これは天動説と地動説のような学説の対立ではなく、哲学、世界観の相違ですもんね。

私は原理主義的神聖論者ですので(笑)、仕手化した株はめったに触りません。
やるにしても、相場が仕手のコントロールを離れ、取り残されたしこり玉の重みで崩れて行く終末期に、便乗して売らせていただくだけです。
(そのかわり、皆が忘れた頃になっても、まだ延々と売り続けていたりしますが)
一般に、人為論者の方は自分が相場を動かす力を持つことが至上の喜びですが、神聖論者の方は、自分自身の注文で相場が動かないようにすること、いわゆるマーケットインパクトを与えないように建玉・手仕舞いすることに腐心します。

思うに、清春さま含め人為論者の方々は、兜町に近いところに居た方、もしくはいらっしゃる方が多いのではないでしょうか。いわゆるセルサイドの方々ですね。
株屋はシナリオを書いて相場を作り・・・腕の立つ外務員は有力顧客をおだててにわか仕手に仕立て上げ・・・投資顧問やレポート屋は仕手と持ちつ持たれつで相場を煽り・・・こういった世界が日常であれば、自然とそういう相場哲学をお持ちになるでしょう。
また、仕手情報や兜町の早耳情報を駆使して相場に取り組んでこられた、プロ・セミプロを自認する投資家の方々も、当然そういう世界観をお持ちでしょうね。

相場人為論者のみなさまに共通する価値観として、よくありがちなのが、
・相場は当ててナンボ。当たらない予言、当たらない予言者は唾棄すべき存在。
・儲かる情報を与えさえすれば、人は信じてくれるし、ついてくる。
・株は上がるのが正義だ。上がってこそ皆が幸せになれる。
・仕手や旗振り役は相場に不可欠。彼らは英雄であり、業界は彼らを必要としている。
・掲示板は儲け話をギブ&テイクするところ。結果がすべて、議論はムダ、信じなさい。
・文句があるなら上がる銘柄情報のひとつでも持って来い(笑)

・・・これ、実は案外支持を集める価値観なんですよね。
なぜなら、100人投資家が居れば、おそらく神聖論者は5人足らず、人為論者も5人足らず、あとの90人以上は、自分の頭で考え、自分の相場観を持つことを放棄した人たちだからです。
そういう大多数の方たちにとって、自分のポジションに心地よい相場観を披露してくれる人、安心感を与えてくれる人というのは、貴重な存在ですから。
しかし、相場には、みんなが幸せになれるハッピーエンドの救済シナリオなど、絶対に有り得ません。終わってみたら死屍累々、一将功成りて万骨枯るというのが結末なのです。

個人的には、神聖論者でも人為論者でもかまいませんから、自分なりの相場観をきっちりと持った方が増えて、この売り専科掲示板に参加していただけたらなあと思っています。公的資金で買支えしたり、税制をいじくったりするよりも、
主体性を持って相場に取り組む賢い投資家が増えることが、長い目で見て日本の市場の再生につながって行くんじゃないか、そんな気がしています。