2005-12-31

ジェイコム株売買で20億円の利益をあげた人物は...

▼番組内容紹介

2005年12月8日に起こったみずほ証券によるジェイコム株誤発注の際に、B・N・F氏は6000株のジェイコム株を取得し約20億円の利益を上げました。大量保有報告書によってその事実に気づいたテレビ局が、ジェイコム株誤発注事件当日の状況についてB・N・F氏に取材。B・N・F氏は匿名でインタビューに答えています。以下、取材記者とB・N・F氏のやりとりです。

B・N・F氏:(ジェイコム株の)初値予想がだいたい100万くらいだったんですけど、それがいきなり67万2000円で売って、そのままストップ安の57万2000円に下がったんで、すごい安いなあと思って。
 最初、64万で50株買いを入れたんですよ。それが63万くらいで約定して、その後、また50株、50株って買いを入れていって・・・。買いを入れても入れてもどんどん下がっていくんで、なんだこれはと思って。

記者:(20億儲かった)実感としてはいかがですか?

B・N・F氏:実感・・・いや、今年の9月も1カ月で20億儲かってるんですよ。

記者:あ、そうなんですか。

B・N・F氏:はい。

文字におこすと、あっさりした感じになりますが、取材記者は「9月も1カ月で20億儲かってる」という発言にかなり驚いた様子です。

2005年11月時点でBNF氏の金融資産は80億に達しておりすでにスーパートレーダーだったわけですが、この時点で記者さんがそのことを知る由もなく、驚くのも当然でしょう。

なお、BNF氏はこの後、2006年2月28日の「ガイアの夜明け」放送まで、顔やハンドルネームを明かさずメディア出演を続けることになります。

2005-12-29

週刊新潮

  • 株をやり始めたのは、6 年くらい前からです。
    最初の元手は 100 万円。
    自分でアルバイトをして貯めたお金です。
  • でも、株の勉強を特別にしたわけじゃありません。
    株の売買はどうやったらいいかが分かる程度の本を 1 冊読んだだけです。
    ちょうどネット証券が始まったばかりだったので、あんまり本を読んでも意味がなかったんですよ。
    自分で運用しているうちに、自然と身についた感じですね。
    いや、別に数学とか得意だったわけでもないですよ。
    ほら、ネット証券が始まって手数料も安くなったでしょ。
    時間もあったし、それじゃあやってみようかなと思ったのがキッカケかな。
    ネットのおかげで短期売買もやりやすくなったですしね。
  • 2001 年の初めに、元手を 300 万円に増やしました。
    で、その年末には 6000 万円くらいになったかな。
    それから半年後には瞬間的に億までいきましたが、その後すぐに損をして、02 年の年末にようやく 1 億円を超えました。
    で、03 年半ばから相場も上げ調子になってきたので、それに乗って年末には 3 億ぐらい。
    さらに 04 年に 10 億までいきましたよ。
    今年は 9 月に上げ相場になったんで、そこそこですかね。
    実は、ジェイコム株以外でも、東証一部の大型株に乗って結構儲けたんです。
    銘柄ですか?
    まあ、銀行株とかですね。
  • ジェイコム株の初値予想は 100 万円くらいでした。
    だいたい IPO(新規上場株)は初日にチェックしてるんですけど、100 万以下なら買いかなと思ってたんです。
    なので、67 万 2000 円の初値がついた時点で大量に買おうと思ったら、いきなり 57 万 2000 円のストップ安でしょ。
    これは買いだと思いましてね。
    まあ、100 万くらいまでは上がるだろうと思って。
  • でもね、今回の儲けはそれほどでもないですよ。
    単一銘柄での儲けとしては確かに大きいですが、20 億なんて、今年 1 年の利益からすれば 3 分の 1 とかそんな程度ですよ。
    だって 60 億くらい儲かってましたから。
  • ただね、一日中ネット取引をやるのはものすごい緊張感があって、精神的にかなりキツイんですよ。
    だから、今後もやめないとは思うんですが、投資額は減らそうと思ってます。
  • まあ、この家は自分が買ったんですが、今はとくに欲しいものはないんです。
    というか、金の使い方がよく分からないんですよ。
    ある意味、ゲーム感覚で儲けたようなもんですからね。

2005-12-11

My Trading Life (23)

2001年1月、いきなりソフトバンクの空売りで壮絶に担がれた。正月そうそう嫌な展開である。酷い一年になりそうな予感がした。


ソフトバンクの空売りで、なんとしても損をしたいのだという、変態的欲望を持つトレーダーが仮にいるとしても、あの頃のあの銘柄の空売りで、損をするのはほとんど不可能だっただろう。どのタイミングで売ったとしても、数ヶ月ポジションをキープすれば、確実に利益になったはずである。損をするチャンスは一度しかなかった。1月の始めに空売りをかけて、その月の半ばに買い戻す。そうしたほとんど奇跡のような、完膚なまでのタイミングでの敗北トレードを、いきなり正月からやってしまった。

もっとも、この敗北トレードは奇跡でもなんでもない。ソフトバンク倒産の噂まで流れ出した真っ暗闇の状態で、自信を持って空売りをかけ、反騰し始めてからも、こんなことあり得ないだろうと自分に言い聞かせつつ売りの玉をキープし続け、最後の最後にもうダメだと思って投げたら、それがとんでもないすっ高値で、大損したというわけである。相場の雰囲気に飲み込まれてトレードしてしまえば、こうした奇跡のような敗北トレードを行ってしまうことになる。

まったく魔が差したとしか思えないようなとんでもない失敗トレードである。1年間のネットでの学習で、そうしたへまはやらなくなったはずだった。しかし、失敗トレードというものは、その頻度を減らすことは出来ても、決してゼロにすることは出来ない。聖人のようなトレーダーには決してなれない。欲望の罠から自由になることはできない。

後でチャートを見返してみて、何故こんな天井で買ったんだと呆れてしまうようなトレード、いや、よくこんなワンチャンスを逃さず最悪のタイミングで建玉したよなあと、逆に感心してしまうようなトレードは、その後も決してなくなりはしなかった。ただ、その後の対処だけは徐々にうまくなっていった。

果実は腐りかけのとろりと蜜がたれてきた頃が実は一番美味しい。トレードのベストタイミングと最悪のタイミングは紙一重である。最悪のタイミングを恐れていては、ベストの瞬間を逃してしまうことになる。果敢に挑戦すればよいのだ。ただ、ロスカットだけは徹底しなければならない。それだけだ。



「ネットで二度と買い煽りをしない」

丸善での大敗北の後、清春氏は殊勝にもそう宣言していた。ところが喉元過ぎたので熱さを忘れたのだろう、この頃には、また盛大に買い煽りを再開していた。

清春氏が買い煽る銘柄には手は出さない、買い煽りに乗せられて買うことはしないし、悋気売りもしない。僕もそう誓ったはずだったが、6330東洋エンジニアリングは、マーケットの奇術師さんも乗っていた。それならば、これは奇術師さん銘柄だろうということで、僕もこわごわながら買っていた。

6330東洋エンジは、ネットワーカー達の冷ややかな視線の中、年末の株価2桁状態から、徐々に上へとブレイクを始めた。一気に数十円跳ね上がると思うと、翌日は何事もなかったかのように株価は動かなくなり、さてはここまでかと思うと、翌日、またぴくりと上へと跳ねた。

そんな風にじりじりと株価水準を上げ、そして、いよいよ大相場に向かいつつあるのが誰の目にも明らかになっていった。懐疑から熱狂へ、相場は徐々に育ちつつあった。

マーケットの奇術師さんが、どの程度この銘柄を買っていたのかは分からないが、大きく吹いたある日、ご自分のポジションを全て売り払ってしまった。掲示板でそう報告し、そして、よい銘柄を教えてくれた清春氏への感謝の言葉を書き込まれていた。

「仕手株には手を出さない。自分の持ち銘柄に仕手が入ったと分かったら手放す」とまで書いていた奇術師さんである。株価2桁で底堅いうねりを見せていた水準では買えるとしても、100円台の半ばで大きくうねり、そして怪しい気配を見せ始めた東洋エンジを手放すのは、ある意味で彼らしいと思うのだが、奇術師さんの利食い発言に、何故か清春氏がぶちぎれた。

2005-11-27

My Trading Life (22)

「安く買って高く売る」のか「高く買ってさらに高く売る」のか。方法は2つある。

「安く買って高く売る」やり方は、「逆張り」と呼ぶことが出来るし、「高く買ってさらに高く売る」やり方は、「順張り」と呼ぶことが出来る。

直感的には、安く買って高く売ろうとする「逆張り」の方がリスクが少ないように思える。十分に下がっているのだから、そこよりさらに下にさがることは、普通だったらあり得ないだろういう判断は、合理的に思えるかもしれない。

しかし、下がり続けている銘柄が自分が買ったタイミングで、上昇に転じるだろうと予測するのは、実はあまりにも楽観的であり、自分勝手だ。株価に「底値」はない。

お米だとか石油だとか、実体のある商品の場合は、確かに底値はあるのだろう。実需要が底値を決めてくれるのだから。しかし、株券の場合、究極的には配当以外にその株価を支えるものはない。商品よりも底を支えるものは脆い。だから、株価に安定的な水準は存在しない。株価は楽観の中で狂ったように舞い上がったり、鬱状態に打ちのめされ底辺を這ったり、ファンダメンタルズ以上の大きな動き方をする。

だから、逆張りといっても、下を向いた移動平均線に頭を押さえつけられてじりじりと下げ続ける下降トレンドの銘柄を、スーパーで野菜のカブを買うような感覚で「昨日よりも安い!」と飛びついて買うようなトレードはあり得ない。

長期移動平均線が右肩上がりを続けている上昇トレンドの時に、株価が中期もしくは長期の移動平均線のあたりまで緩んできた時に買うやり方か、あるいは、移動平均線よりも大きく下に突っ込み、乖離率が異常なほど大きくなったときに、一時的な戻りを狙って買うやり方を「逆張り」というのだ。


一方、高く買いさらに高く売ろうとする「順張り」にも当然のことながらリスクはある。

高く買った場合、それより「さらに高値」があるという保証はどこにもない。高く買った翌日に株価が下がりはじめ、結果として、とんでもない高値で掴んでしまうこともあるが、それがとんでもない高値であることは、買った時点では分からない。

順張りはその時もっとも脚光を浴びている銘柄に手を出すわけだから、エントリーの瞬間は快感である。しかし、自分の持っている銘柄があっちの雑誌でもこっちの掲示板でも語られている中で、冷静さを保つことは難しい。
そして、高値掴みはたまらなく悔しい。みんなが儲けたはずの銘柄を一番最後に掴み、潮が引くように静かになっていき、やがて誰も語らなくなる銘柄をすっ高値で掴んだまま一人取り残される屈辱感は計り知れない。そうなってしまうと、なかなか損切りなど出来ないものだ。
ずっと後になってトレードを振り返って、急勾配で上昇し一気に崩れていく尖ったナイフの先のようなチャートのその先端で買ってしまった時など、その愚かさに自分でも呆れてしまうだろう。あんな最悪のタイミングでよく買ったよな〜という後から思うと信じがたいようなトレードは、「順張り」でトレードする以上はある程度は避けられない。

だから順張りの場合、損切りは非常に重要である。皆と一緒になって「買わなきゃ損損」と踊りながら、クールにまわりの熱狂を観察するだけの冷静さが要求される。
順張りで買って損切りが出来ないと、ポートフォリオは見事高値掴みのコレクションになってしまう。雑誌で株の特集を読んで株式トレードをはじめ、評論家の推奨株に飛びつくようなトレーダーは、ほぼ100パーセント間違いなく、高値株コレクターになってしまうと思うよ。

逆に言いかたをすると、損切りさえ冷徹に実行できるのならば、順張りのリスクは相対的には逆張りより低いと言えると思う。

順張りと逆張りのどちらの方法が正しいとかいう問題ではない。どちらでも良いのである。自分にとって一番しっくりいく方法をとることが大切なのだ。

僕のやり方は基本的には順張りである。底値からじりじりと動き出した銘柄に打診的な買いを入れ、株価のうねりに合わせながら、小さく買い、小さく売りを繰り返していく。その銘柄の動きのリズムとどうも相性がいいなと判断できたら、少しずつポジションを増やしていき、波のうねりが徐々に大きくなっていくのに合わせて、今度は一気に買い上がる。そして高値から崩れていくジェットコースターの下降場面で、最後の玉を投げる。実際には、いつもそうしたトレードが出来ているわけではないが、理想とするトレードはそんなイメージである。

何故、こうしたスタイルを取るようになったのか。

僕が最も影響を受けたトレーダーであるマーケットの奇術師さんが、トレンドフォローの、どちらかと言えば順張りの人だったのでその影響を受けたことがまずは大きい。(ただ、奇術師さんのやり方は、僕のやり方とはまったく違う。彼は仕手株には決して手を出さない人だった。)

彼の手法は空売りの時に特に凄みを発揮した。大きく吹いた銘柄がその相場を終え、トレンドが下を向いている限り売り続ける。安値で売ってさらに安値で買い戻す。トレンドが変わらないときは、安値でのロールオーバーを繰り返し、6ヶ月、1年と一つの銘柄を追い続ける。

順張りと逆張りと、どちらの方法を選ぶかは、トレーダー個人の性格的なものが大きい。どちらがしっくりいくのかというのは、本当に感覚的なものである。

常識的に考えると、他人と同じことをやるのが嫌いな自立心の強い独立独歩の人は「逆張り」を好みそうだし、付和雷同で流されやすい人は「順張り」に向かいそうな気がする。

しかし、実際は必ずしもそうではないようだ。自分の性格的な弱さを自覚している人は、慎重にやらなくてはという意識が強くなりすぎて、ダラダラと下がり続けている銘柄を逆張りしてしまうかもしれないし、独立独歩の自信家は自分だけはマーケットの熱狂に巻き込まれずに勝てるといううぬぼれから、順張りに向かうかもしれない。

いずれにせよ、トレードを通して、自分の心の中にいるまったく予想もしていなかったような「意外な自分」を発見することになるはずである。あるいは、そうした「意外な自分」を発見できなかったトレーダーは、遅かれ早かれマーケットから退場を迫られるはずである。

トレーディングスタイルを決めるのは、性格だけではない。性格以上に、トレーダーとしてのそれまでの経験が、その人にどのようなトラウマを残しているかがトレーディングスタイルに大きな影響を与えると思う。

僕は「二つのバブル」の終焉を知っている。1990年のバブルの破裂、そして、2000年のITバブルの破裂の2回のバブルの終焉。前者では僕自身被害を被ったし、後者ではネットでトレーダー達の断末魔の悲鳴を確かに聞いた。

大きなトレンドが変わる時に、それに気づかずに押し目買いしてしまうと、身を滅ぼすという恐怖心は、心の底にすり込まれている。

僕は兼業トレーダーである。株式トレードでの失敗は限定的でありたい。株式トレードでの失敗が、実生活に響くようなことはしたくないし、暴落の日に、仕事を休んで、取り乱して錯乱状態でパソコンに張りつくような真似はしたくない。2000年の5月に、そろそろ底だろうと判断して、ソフトバンクや光通信を押し目買いするようなトレーダーになるわけにはいかないということだ。

そうしたさまざまな要因が、僕を「ロスカットを冷徹に実行することが前提での順張り」という今のトレーディングスタイルを選ばせたのだと思う。



2000年はとても充実した一年だった。バブル後の10年間、株式トレードではひたすら損を続けてきたが、この年、はじめて年間トータルで大きく利益を上げることが出来た。それだけではなく、正しい方法が実行できているという確信も持つことができた。

丸善でのような失敗はもうしないだろう。それなりに自信もあった。

(しかし、やはり再び大きな失敗をしてしまうことになるのだが。。。)

2000年のトレードでは、利益を上げた銘柄、損をした銘柄のどちらも、今となっては懐かしい思い出である。ウシオ電機、ツガミ、日本板硝子、丸善、東急不動産、東芝機械...とあの年に手がけた銘柄名を思い浮かべるだけでなんだか懐かしい気分になってくる。


そして、その翌年の2001年の1月、前年の日経平均2万円から、株価は一直線に下降し、ついに1万4千円を割っていた。IT関連株はどん底まで売りたたかれ、当時オールドエコノミーと呼ばれていた、鉄鋼、海運などの株価は2桁台をさ迷っていた。5405住友金属61円、9110新和海運55円。今となっては信じられないような値段である。

2001年のトレードでは、2000年に手がけた銘柄のような思い出すだけでも懐かしいワクワクするような銘柄は、実は一つもない。あえて言えば、自分なりのトレード法を確立させてくれた銘柄である東洋エンジニアリングは懐かしい気もするけどね。石井鉄工所では大きく利益を上げたが、懐かしいという気分はしないな。陰惨な思い出しかないね。

ネットの掲示板で心躍るような書き込みを読んだという記憶も、この年には、ほとんどない。2000年は僕にとってはネットに夢を託すことが出来た冒険のような1年だったが、2001年、その夢は色あせ、幻滅へと姿を変えていった。

実はこの年のトレードを思い出し振り返るということは、それ以降ほとんどしていない。損失を発生させた銘柄名はほとんど思い出せないくらいだ。ただ、この年のトレードは、心の中には深く刻み込まれているはずだし、その後のトレードのスタイルに大きく影響を与えていると思う。

大発会の時、「売り専」の掲示板では、株価が100円前後だった6330東洋エンジの買い煽りを清春氏が始めたばかりだった。奇術師さんも清春氏へのつき合いのつもりだったのか、東洋エンジを買ったことを掲示板に書き込んでいた。奇術師さんがやるなら、僕も真似するというわけで、僕も100円絡みの東洋エンジを少しずつ拾ったりしていた。


そして陰鬱な一年が始まった。