2006-05-14

My Trading Life (32)

当初はルール通り損切りを行っていた。建玉の段階で設定したロスカットのポイントに達した瞬間、ザラ場を見ている時は売却のオーダーを入れ、そうでない時は翌日の寄りで投げた。しかし、自己処罰のような損切りが続くうちに、次第にロスカットが甘くなっていった。その年の前半、清春氏の推奨銘柄に提灯を付けて簡単に利益を上げていたため、相場を舐めていたのかもしれないと今になって思う。

暴落の時、下落は銘柄を選ばない。一斉にどの銘柄も下がっていく。2,3日、様子を見てから損切りしたりしているうちに、ロスカットのタイミングを逸した銘柄が、どんどん増えていった。

僕は、ロスカットの時に、完全に全てのカットするのではなく、数枚残すことも多い。株価ウォッチのためで、株価の動きを体感するためにはそれなりに有効な方法だとは思っているが、そうした数枚がいくつもの銘柄になると、塵も積もればで、無視出来ない含み損になっていく。少しずつ退却戦を強いられていくうちに、ポートフォリオはどんどん悪化していった。

信用取引を初めて6年になるが、僕は実は一度も追証にかかったことはない。理由は2つあって、ひとつは、レバレッジをいっぱいにかけた全力のトレードをしないためであり、もう一つは、ポートフォリオが悪化し始めた時、早めにカットして信用の余力を常に余裕の状態にしてあるからである。

このときは、そうしたトレード手法の全てが裏目に出た。含み損の銘柄は、もはや損切りも躊躇われるほどの大きな含み損になってしまっていた。信用の余力を増やすためにやむを得ずカットすることが出来るとしたら、利益が膨らみつつあった空売りの銘柄しかなかった。せっかく絶妙のタイミングでエントリー出来ていた空売りのポジションで、益出しの買い戻しを行いつつ、追証の危機を凌いだ。その年の夏の終わりには、ポートフォリオの中は含み損の銘柄ばかりになっていた。もはや敗北は明らかだった。

00年の夏、丸善の空売りで壮絶に担がれた。
01年の夏、含み損は丸善の時より大きくなっていた。
そして、不思議なくらいに痛みを感じないまま、損失は膨らんでいった。

どうせスタートは200万円だったのだ。今、マーケットから退場したとしても1年で数倍の利益を上げたことにはなる。それで十分ではないか。そして、金銭面での利益だけではなく、人間の心理について非常に多くのことを学ばせてもらったと思った。十分に元は取ったのだ。そろそろパーティー会場から静かに立ち去る時なのかもしれない。そんな諦めの気持ちもあった。

奇術師さんたちの発言を掲示板で読みながら、株式投資を勉強していた時のワクワクするような充実感は、もはやなかった。「マーケットは投資家の欲するものを与えてくれる」というエド・スィコータの言葉は、ずっと頭に残っていた。もしかしたら、僕は、心の底では、マーケットから退場することを望んでいるのかもしれない。そんなふうにも思えた。しかし、本当に損をするために、破滅するために、トレードを行っているのだろうか。だとしたら、人間の欲望って何だろう。

夏の初めだったと思う。その前年の春に読んだ林輝太郎の著作を久しぶりに読み返してみたことがある。「うねり取り」という言葉や、空売りの重要性を、僕は彼の本ではじめて学んだのだった。1年半ぶりに読み返してみたその本は、あまりに印象が違っていた。表紙も埃をかぶり色あせていたが、それ以上に、内容は色あせたものに思えた。そして、その1年半ほどの間に、いかに多くのことを経験し、そして、学んだのだとあらためて知らされた。1年半にわたって、掲示板を読み、そして自分の頭で考えながら身につけたスキルは、本から学んだ知識をはるかに凌いでいると思った。

林輝太郎の本の駄目な部分を一言で語れば、彼は教祖として、「師」として語ろうとしているからダメなのだということに尽きると思う。そうではないのだ。人間は変わらない。何十年チャートを見続けようが、月足を何百銘柄と大きな方眼紙につけようが、本質的なところでは人間は変わらない。何年生きても、どれだけ株式トレードの経験を積んでも、人間は初心者の時と同じような間違いを繰り返すだろう。心をカラにして売買譜を書き、チャートを見つめ続ければ、いつか悟りが開けるなんて嘘だよ。

変わるのはただ自分の愚かさの記憶が蓄積していくということだけだろう。自分の愚かさを自覚することによって、以前ほど無謀なリスクは賭けなくなるし、大きな損失の時に目を閉ざし見ないふりをすることもしなくなる。含み損が大きく膨らんだ時の投資家の心理も、自分の過去の経験から容易に想像出来るし、そうした投資家心理の裏を狙った売買もできるようになってくる。

それは本当にわずかな進歩でしかない。しかし、そんなわずかな進歩が決定的な一歩なのかもしれない。

せっかくここまで身につけてきたものを捨ててしまうのは惜しいことに思えてきた。もう一度、頑張ってみよう。しかし、そのためには膨らんでしまった含み損をなんとかしなければならない。そして、肉を切るような損切りが始まった。

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