2006-04-23

My Trading Life (31)

>>右肩上がりの一本調子の相場の時代とはまた別の、取り組み方や哲学がある

下げ相場での空売りの重要性を示唆する発言を最後に残して、マーケットの奇術師さんは掲示板から姿を消した。しばらく休んだ後、奇術師さんは復活されるのではないかと誰もが期待していたし、ずるずると下降を続けている株価も、やがては戻るだろうと誰もが思っていた。

奇術師さんが掲示板に最後の書き込みをした2001年の7月5日、そのときの日経平均株価は12,607円である。日経平均がその2年後には8,000円を割ることになろうとは、この時点では誰も予想していなかったはずだ。

そして、奇術師さんも、二度と掲示板に戻って来なかった。

ずるずると下落を続ける下降トレンドの相場を、どうやって耐えしのいでいくか。それが個人投資家にとっての一番大切な課題である。

上昇トレンドの相場ならば誰だって儲かるのだ。

昨年2005年の1年間で、資産を倍にしたトレーダーは星の数ほどいると思う。しかし、日経平均ですら40%の上昇をしたのだから、標準的なスキルを持つトレーダーが、2.5倍程度のレバレッジを効かせてトレードを行えば、その程度のリターンは当然のことく期待出来る数値である。四季報のページを適当に開いて、アトランダムに数銘柄買い、期日いっぱいまでホールドすることを繰り返すだけで、その程度のリターンは期待出来たはずなのだ。

それよりも大きなレバレッジを効かせながら2倍にも達することが出来なかったトレーダーは、実はハイリスクローリターンの危険すぎるトレードを行っていたことになる。もっともそうしたトレーダーが、自分のトレードの危険性に気がついている可能性は低いと思う。信用の枠一杯で常に大勝負をかけながら、資産を2倍にもすることが出来なかったトレーダーは、実は「下手」なのだ。

昨年の後半、月ごとや週ごとの利益がどんどん雪だるま式に膨らんでいったトレーダーは多いと思うが、それは本当にトレードの技術が上がったのか、それとも、利益の増加と共にリスク管理が甘くなり、より大きなリスクを取るようになった結果、たまたま運良く勝っただけなのか、しっかり自覚できているだろうか。

標準的なレベルのトレーダーが、仮に2001年や2002年のようなじりじりと下落を続けるマーケットにぶつかり、そして信用取引を行っているならば、間違いなく破滅するだろう。株式市場は永遠に上昇を続けるはずはないのだから、何年かトレードを続ければ、必ずそうした大きな調整期に出くわすことになる。だから、リスク管理の出来ていない信用トレーダーは、一時的に勝つことはあっても、長期的に見れば、いつかマーケットから退場させられると思う。

機関投資家ならば、指数よりもうまく運用できているかどうかで、その人のトレード技術を判断することができる。しかし、個人投資家にとってはそうではない。指数との勝ち負けなど、個人投資家にはまったく関係はない。個人投資家は指数と戦っているのではない。個人投資家にとって大切なことは自分の資産を守り抜くこと、それだけである。仮に日経平均が20%下がった年に、信用買いで2倍程度のレバレッジを効かせながら、資産のドローダウンを30%程度にとどめることが出来たとしても、ちっとも偉いことはない。

「指数が20%上昇した時は60%のリターンが期待でき、指数が20%下がった時は40%の損失が予想されるトレーディングスタイル」と、「指数が30%上昇した時は20%のリターンが期待でき、指数が20%下がった時は10%の利益が予想出来るトレーディングスタイル」という2つのやり方があるとしたら、個人投資家は後者を選ぶべきだと思う。

来る日も来る日も暴風雨のような売りを浴びせかけられ続ける軟弱な相場でも、個人投資家は勝ち続けなければならない。少なくとも負けるわけにはいかない。相場が大暴落したので破滅してしまいましたでは言い訳にもならない。だからこそ個人投資家にとって、損切りを徹底すること、分散投資をすること、そして「空売り」と「逆張り」のスキルを身につけることが大事なのだ。


奇術師さんが掲示板から姿を消して以来、僕はまた元のロンリートレーダーに戻った。掲示板で書き込みをすることはもちろん、読むこともほとんどしなくなった。僕のPCのHDDの中には1年分の奇術師さんの発言が残っていた。迷った時、方向が見えなくなった時、僕は一人で奇術師さんの発言を読みなおし、奇術師さんとの対話を続けた。

日経平均は4月の14,550円からほぼ一直線に下降を続けていた。前年のITバブルの崩壊の時の痛みを伴った急激な下げではなく、だらだらと力のない下落だった。急激な下げの場合、投資家は恐怖の中で、何らかの対応を迫られる。しかし、ダラダラとした下げの場合、投資家は損切りの苦痛を一日一日と延ばそうとする。損切りするのは明日。そして、明日はけっして訪れない。ふと気がついた時には茹であがったカエルだ。徐々に意識が薄れ、穏やかに安楽死を迎えるような、多くのトレーダーたちにとっての「なしくずしの死」の瞬間が、徐々に近づきつつあった。

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