2004-11-03

My Trading Life (3)

翌年の春だったと思う。チャートを眺めていて8014蝶理という商社が数ヶ月を単位とするきれいなうねりを作りながら次第次第に上昇していくこと、そして、今がいいタイミングで波の底の部分であることに気がついた。

さっそく、この会社について調べてみることにした。
調べてみるといっても、株式関係の雑誌を探ったり、証券会社の店頭で株式新聞を読んだりして、評論家の先生方がこの銘柄を推奨している記事があるかどうかを探しただけの話なのだが。(^_^;)

ほんとに、とことん馬鹿である。(-_-)

蝶理を推奨する評論家は誰もいなかった。どうやら忘れられた銘柄らしい。評論家の先生方が誰も勧めないこんな銘柄を買っていいんだろうか。
しかし、チャートは上に行きそうな気配を漂わせているし、四季報を読む限りは業績も好調のようだった。

悩みに悩んだ末、買ってみることにした。誰も推奨していない銘柄を買ったのはそれが初めてだったと思う。
証券会社に電話すると、証券レディーから「えっ、チョウリ?」と聞き返される。「そう、チョウリ、ハチ、マル、イチ、ヨン」と説明するのも恥ずかしい。緊張する。

訳の分からない銘柄を買おうとしている馬鹿で弱小の投資家だと思われてるんだろうな。鼻で笑われてるんだろうな。。。

とっても惨めで、ひとりぼっちになったような気分がした。

証券会社に電話して、証券レディーに売買の注文を出すときのあの妙な緊張感って、ネットトレードしか知らない人には想像できないでしょうね!
あの時代、個人投資家と言っても、数千万円、数億円の資金を動かしている者がザラにいたのである。少なくともザラにいると言われていた。
たった1000株の注文をわざわざ指し値で入れてくるような弱小トレーダーが、証券レディーたちからどのように見られているかは想像がついた。僕自身と同世代である彼女たちから、自分がどのように見られているかを勝手に想像して、僕は恥じた。カネが全て、そんなバブルの時代のど真ん中の話である。

こちらの名前を言い、買いたい銘柄を言い、株数と、成り行きか指し値かを言う。(まあ、株数は毎回1000株だったんだけどね。)
それだけのことなのに、何故か、電話をし終えると、いつも、電話を持つ手が汗ばんでいることに気がつく。
どうして、いつもいつもあんなに緊張したのか、今となっては全く理解できないのだが。

(所詮、株屋のねーちゃんじゃないの、あっちはさ。どう思われようが、関係ね~よ。そう、今は思うけどね。)

さて、1000円前後で買ったその株は、小さなうねりを繰り返しながら、1100円、1200円と、徐々に上がりはじめた。このまま順調にいくのかなあと喜んでいると、いきなり、1日に100円近く下がったりすることもある。また、不安な気分にさせられる。
いつもならば、不安な気分になったときは、スクラップしてある評論家の先生方の推奨記事を読んだりすれば、自分のポジションは間違っていないのだと安心することが出来るのだが、この銘柄の場合は誰の推奨もない。不安を癒してくれるものはなかった。

いったん1300円台に上がって、それから1200円台に大きく下がったときに、もう堪えきれなくなって、ある日、昼過ぎに、成り行きで売った。何日も何日も売った方がいいのかどうしようかと煩悶していたので、電話で成り行き売りの注文を出したときには、ほっとしたものである。

株価はその日の大引け近くに、大きな買いが突然入り200円近く上昇した。その後も大きく乱高下しながら、上昇を続けた。
北浜流一郎や松本亨が蝶理の推奨をはじめたのは、1600円を越えほぼ最高値に達してからだったと記憶している。

株って簡単に売ってはいけないんだ。どんな株も、じっとホールドしていれば、もっともっと上がるものなんだ。何度も悔しい経験をする中で、そうした教訓を学んだ。

株式投資の恐いところは「経験」を積むことが必ずしも良い「結果」に繋がるわけではないことだろう。相場は、トレーダーに間違った教訓を教え、間違った決心をするように促す。
特に、失敗体験は、というか、もっと正確に言うと、トレーダーが失敗だと思いこんでいるトレードの体験は、トレーダーに対して間違った教訓を与えることになることが多い。

相場環境にもよるだろうが、株式トレードをはじめて半年ほどは、教科書通りに運用していれば、たいていの場合、ある程度の利益は上がるのではないか。少なくとも、確定益だけに関して言えば、たいていの人が、はじめはプラスになると思う。
問題はその後である。おそらく、ほとんどの株式ビギナーのトレード開始から半年後のポートフォリオは、「確定益はややプラス、含みは大幅な損失」といったものになっていると思う。つまり、利食いは素早くできるが、損切りは出来ないため、含み損がどんどん大きくなっていくのである。
こうなってから、うまく対処するのは実に難しい。経験を積んだ投資家でも、大きな含み損銘柄ばかりのポートフォリオを、プラスに転換させるのは至難の業だろう。まして、経験のないビギナーではほとんど不可能なのではないか。
だいたいの投資家が、このあたりで潰れていくと思う。

89年の暮れには、ビギナーの誰もが突きあたるであろうそうした壁に、僕もぶち当たりつつあった。その年も200万円くらい利食ったと記憶しているが、持ち株はどれも含み損状態で、どうにも動かすことが出来なくなっていた。

じっと待っていればどの銘柄も買値を越えていくだろう。これまでもそうだったし、これからもずっとそうだろう。僕はそう信じて、含み損の状態で耐えた。

指数は4万円を手前にして、やや足踏みになりつつあった。

(日経平均が4万円の目前まで行ったのである。本当に今となっては信じられない話だが。)

マスコミは、翌年の1990年の日本の株式市場の不安材料は、ソ連のゴルバチョフ書記長の失脚の可能性「だけ」だと告げていた。国内経済は不安材料はない。仮にゴルバチョフが失脚したとしても、絶好調の日本経済に死角はない。

株価も地価も永遠に上がり続けるように見えた。

0 件のコメント:

コメントを投稿