2004-11-19

My Trading Life (8)

ネットで株の売買をやってみようかと最初に思い立ったのは、実は結構早くて、96年か97年だったと思う。
今村証券が、ネットでの株式売買を実験的にはじめたというニュースを新聞で読んで、試しに申込書を取り寄せてみたのだ。
数日たって、今村証券から、申込書が郵送されてきたが、印刷の不鮮明な書類がバラコピーで数枚。中には、コピーが斜めになっていて、一部読めなくなっているものまであった。
これはちょっとひどいわ、使えないなと感じた。だいたい株式投資に対する熱意を完全になくしていた時期だったので、申し込む決断がつかないまま、いつのまにかそのことは忘れてしまっていた。

もう一度、株式の勉強をやり直してみようと思い立ったのは2000年の1月。ヤフー株の1億円突破のニュースを聞いた時である。

これまでのやりかたでは駄目なことはよく分かっていた。
まず、アマゾン・ドット・コムで株式関係の書籍を検索して評判の良い本をどんどん買ってみた。日本の株式評論家は頼りにならないので、ここはアメリカの評論家やトレーダー達の本を読んでみようと思ったのである。結局10冊くらい買ったと思う。特に強く印象に残ったのは以下の4冊である。

Alexander Elder; Trading for a Living
Edwin Lefevre; Reminiscences of a Stock Operator
Jack D. Schwager; The Market Wizards
Jack D. Schwager; The New Market Wizards

特に、エルダーの「トレーディング・フォー・ア・リビング」の冒頭の一節は強烈だった。

You can be free. You can live and work anywhere in the world. You can be independent from routine and not answer to anybody.
This is the life of a successful trader.
Many aspire to this but few succeed.

成功したトレーダーが得ることができるもの、それは自由だ。
誰にも従うことなく、誰の命令も受けず、自分の住みたい場所に住み、自分の望むままの人生を送ることができる。かっこいいね。それが成功したトレーダーの人生だってさ。
多くの人がそれを志す。だけど成功できる人は少ししかいない。そうか、やってやるぜ!

どこかの南の島のリゾート地で、ノートパソコンを開いて、ネットで銘柄の売買をしながら、優雅に余生を送っている自分の姿が頭に浮かんできた。ノートパソコン一台抱えて、世界中を旅しながら、トレードを続けることだってできるわけだ。いろいろ夢が膨らんできた。(^_^;)

エルダーのこの本は、後に「投資苑」という最低のオヤジギャグみたいなタイトルで翻訳される。本屋で見つけて、冒頭の一節を読んでみたが、あまりに味気ない訳で、はじめてそのパッセージを読んだときのあの衝撃とはほど遠いものだったが。

日本の評論家のものでは林輝太郎の著作が面白いと思った。
90年代の10年間に、3408サカイオーベックスなどで、細々と時々思い出したように行っていた相場のうねりに合わせて売買するやり方が「うねり取り」というトレード法なのだと初めて知った。

そして「空売り」が重要なものであるらしいということも知った。それまで、信用取引は危険で絶対にやってはならないものだと思いこんでいたので、これも新鮮な驚きを覚えた。

ただ、林輝太郎の著作は何冊も読んだが、数多く読むにつれて、徐々に胡散臭いものを感じていったけどね。まあ、繰り返しが多いし、愚かな投資家に対する説教みたいな話ばかりでしょ。
株式のトレードによってではなく、投資相談のようなことをやって利益を得ている人なんだろうなという印象を持ちました。まあ、本当はどんな人なのかは全く存じ上げませんが。
そうそう、輝太郎のコドモがやってるFAI投資法とかいうのになると、胡散臭さ倍増、馬鹿さも倍増だね~。

相場の魔術師たちは皆申し合わせたように損切りの重要性を説いていた。損切りすることによって新たに新鮮な気持ちで再出発することができると。

そうか、損切りするしかないのか。

第一中央汽船、東海カーボン、アシックス。。。
バブルの頃に買ったきり、損切りできないでいた銘柄はどれも10分の1ほどに下がっていた。
再出発のためには、損切りするしかないんだろうな。
僕は、全部切った。手にした資金は200万ほどしかなかった。
これを元手に再度真剣にトレードに挑んでみよう。この資金がゼロになったら、撤退しようと心に誓った。



結局、89年の一番高いところで買った銘柄を、2000年の一番安いところで売ってしまったわけである。

今だったら、あのタイミングで切ろうとは思わないけどね。
「損切り」と「投げ」は、やはり別のものだと考えないといけないと思う。
損切りは早ければ早いほどいい。しかし、塩漬け状態の銘柄を衝動的にまとめて投げるのは馬鹿げている。
株式投資において、塩漬け株はあってはならないものだけれど、しかしこれは必要悪みたいな側面もあり、なかなか一掃はできないものでもある。
また、一掃しなければいけないという心理的なストレスが、その後の判断を狂わすこともあるし、リスクを取ることを躊躇わせることもある。

今年の5月の急落場面。僕は、まあ、最もうまく乗り切ったトレーダーの一人だったと思う。(この時期のトレードは、某掲示板でリアルタイムで玉のさばきをある程度は書いてきたけどね。)
4月に利食いをほとんどすませ、空売りのポジションを増やし、ゴールデンウイーク後の急落の場面で、残った買い玉はどんどん損切りしていき、ほぼ底で、買い直し、小さくリバウンドを取って利食うという狙いのトレードがほぼ思い通りにできた。

それでも、損切りできないで残ってしまった銘柄は出た。
8815東急不動産などは、結構、大きな玉が残ってしまった。
ただ、これは少しは残しておいた方がいいのかなという判断もあった。
ほとんどのトレーダーはあの急落に対応できてはいない。ということは、仮に東急不動産が戻ってきた水準が、他のトレーダー達の含み損が消え始める瞬間だと判断してもいいだろう。他のトレーダー達のリズムを知るためにも、ある程度は残しておいた方が、面白いのではないか。

いや、これほどきちんと考えていたわけではない。
今から切っても手遅れだな、それならば、この含み損の銘柄を利用できる方法はないか、いや、そういう考え方って負け惜しみじゃないかなどなど、いろいろな考えが頭の中で交錯したわけである。
トレードは「買い」と「売り」の2つしかないわけだが、それだけの判断をするために、実はいろんな思惑と判断と、そして判断ミスが頭の中を行き来する。

この時の判断が正しかったのかどうかは、確信は持てないのだが、ただ、いろいろなリズムの銘柄がポートフォリオの中にあるのは良いことなんじゃあないかとは思ってる。

東急不動産の370円台の玉は、ポジションは縮小したが、未だに持っている。その後、この銘柄では、大きく下がったところを買い、370円に近づくところでどてんの空売りを繰り返している。今のところ十分に元は取っていると思う。塩漬けの370円は十分に役に立っていると思う。
(今週の木曜日の長い上ヒゲのところで、空売りかけてみたんだけどね。さあ、どうなりますか。)




話を戻そう。
2000年の2月、最初に挑んだ銘柄は6925ウシオ電機。
しかし単位株が1000株で2000円がらみの銘柄を買うだけの資金的余裕がなかった。やむを得ず、ミニ株で挑むことにした。
まあ、1枚だけ買おうと思えばできたわけですけどね、それよりミニ株で数枚を動かした方が面白いかなと思ったわけです。
そして、吹いたところで一部利食い、下がったところで買い増しを繰り返した。

結果的にこれはとても良かったと思う。
ミニ株でのトレードは、ざら場で動かすことができない。引け後のチャートを見ながら時間的余裕を持って対応することができたため、感情的で衝動的なトレードをしなくてすんだのである。
結局500円幅を、うまく回転させ、数十万の利益を上げることができた。
1ヶ月も1銘柄を追いかけ続けると、その銘柄のリズムというか、呼吸のようなものが感じられてくる。
2600円を越えたところでは、これは空売りのタイミングなんだろうなと確信できた。
予想通り、そこから株価は下がりはじめた。

その時点では、まだ、信用の口座は開いていなかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿