2004-11-17

My Trading Life (6)

株式投資の初心者に、ビギナーが株を売買をする上で心にとどめておくべき大切なことは、と問われたら、そうだな、僕は次のように答えるだろう。

大切なこと、それはふたつある。

まず一番大事なのは、生き残ること。

この株式市場では、愚か者はたちまちに退場に迫られる。どうやったら金が儲けられるかなんて虫のいいことを、最初は考えてはいけないよ。

まずは、最初は損をすると思わなければいけない。
運良く、最初にビギナーズラックに恵まれたとしても、その後で、その反動の大敗北がやってくることは必至。まずは「生き残る」ことを目標にしないといけない。
様々な経験を積みながら、様々なことを学びながら、まず1年、大損をすることなく乗り切ることが出来たならば、さあ、それからだ。金儲けのことを考えるのは。

そして、次に大切なこと。それは自分を知ることだ。

あなたはあなた自身が思っているほど優秀ではないし、善人でもない。
愚か者である自分を直視しなさい。
あなたは小心者で感情的な人間だ。
株価が上がると自分がどれほど舞い上がるかを観察しなさい。そして、暴落すると突然に鬱状態になり、恐怖のあまりどん底で手放す姿を直視しなさい。
冷静さを欠いた感情的なトレードを繰り返し、何度失敗してもその失敗を教訓として学ぶことが出来ない。無能な自分、愚かな自分を、まずは認めたなさい。

株で損する10万円、20万円は、働いて手にする10万円、20万円とは全然価値が違う。あぶく銭だから軽いものだと思ってはいけない。株で損をするお金は自尊心を傷つける。精神的ダメージを与える。あぶく銭だから恐いんだよ。あぶく銭だから苦しいんだよ。

トレーディングの持つそうした魔術的な力に翻弄されて、破滅的なトレードを繰り返すことになるであろう愚かな自分を冷静に観察できるようになってから、そう、まずはそれからだ。それから金儲けへの修行の道が始まる。



1990年の年初、1月2月と株価は下がり続けた。
それでも時に思わせぶりな上昇をすることもあって、もしかしたらと、淡い期待を抱かせることもあった。
でも、本当は、誰もが分かっていたんだと思う。これまでとは全く違う「下げ」が始まったのだということを。

そして3月。すべてが終わったことが明らかになりつつあった。
人は手遅れになってから、ようやく仕方なく現実を受け入れはじめる。
株価は、弾力のなくなったゴムのように、どんどんと下降を続け、そして、ついに、ぷつんと切れた。

3月の終わりから4月の初めの株価の下げはすさまじかった。

前年の年末はバラ色の日本経済を語っていたメディアは掌を返したように、暗い予想を語りはじめた。

株価の下落は底なしのように思えた。そんな状態になっても、株式評論家の松本亨や北浜流一郎は、株価は今が底で、やがて反騰するはずだと個人投資家を励まし続けてくれた。彼らの「言葉」には励まされた。
その頃の僕は、毎日、日刊ゲンダイを買い、松本亨の記事を熟読し、短波の北浜流一郎の放送は欠かさず聴くようにしていた。

今でも、時々ネットの掲示板で、初心者の人が自分のホールド銘柄について、上級者から好ましいことを書かれると、「●●さんから、そういって頂けると安心です」みたいな書き込みをしているのをよく見かけるが、あの気持ちはとてもよく分かる。

あの気持ちはとてもよく分かるが、でも、あれじゃあダメなんだよと、今になって僕は思うけどね。

全面的な下げの中でも、北浜流一郎はちゃんと有望株を見つけ、推奨してくれていた。最もその銘柄の株価が上がることはなかったが。

ある日の日経新聞の夕刊の前場の引け値で、ほとんどの銘柄が売り気配で値が付いていなかったことがある。もう、毎日の相場がこれまで経験したこともないような驚きの日々だった。

それまでの2年ほどの投資で儲けた額は、あの2ヶ月で完全に吐き出し、すでにマイナスになっていた。
何度売ってしまおう、全部投げ出してしまおうと思ったか分からない。
今のようにネットで株の売買が出来たならば、きっとすべてを投げていたことだろう。
投げることができなかったのは、妙なプライドがあったからだ。
証券会社に電話して、持ち株を大損状態で売り注文を出すというのが、たまらなく恥ずかしかったのである。
誰に対して?
直接的には、電話の向こうの証券レディーに対してである。
でも、ほんとは何が恥ずかしかったんだろうか。
カネに翻弄されている小心な自分の姿が恥ずかしかったのだ、と今になって思う。

いよいよカタストロフが近づきつつあったある日のことである。
その日、短波で昼の北浜流一郎の放送がいつもと調子がちょっと違っていた。
地獄のような下げ相場の中でも、強気の予想で個人投資家を励まし続けてくれたあの男が、その日は何故か、陰鬱な口調で、「こんな相場ですから、推奨できる銘柄は東証1部にはありませんね。」などと言い始めた。
驚きである。どんな最悪の相場でも、推奨銘柄を次々と発表してくれていた北浜流一郎が、推奨できる銘柄はないというのだ。
彼は、推奨銘柄として、当時、東証外国部に上場していたドイツ銀行を上げた。

個人投資家の味方、北浜流一郎さえ、日本の株式市場を見捨ててしまったのだ。もう、これは本当にだめだと思った。本当に日本の株式市場は終わってしまったのだろう。こうなったらどこまで下がるか分からない。株式市場に預けているお金がゼロになったら、どうしたらいいだろう。

電話を取った。今度こそ本気ですべてを投げてしまおうと決心した。

電話に出たのはいつもの証券レディーではなく何故か男性の証券マンだった。

息をのんで、口を開いた次の瞬間、僕は全く予期していなかった言葉を口走っていた。

「3408酒伊繊維4000株、成り行きで買い」

電話の向こうは一瞬沈黙した。

「買いですね」
「買いです」
「買い?」
「買い!」

という後で思い出すと笑いが止まらなくなる不思議な会話があり、そして短い電話を切った。

電話を切った瞬間、自分がとんでもないことをやってしまったことに気がついた。
手持ちの全財産をはたいても、酒伊繊維を4千株も買うお金などもう残っていないのである。
定期を解約し、その頃はじめていた田中貴金属での金の定期購入をすべて解約しても、まだ数十万足りないのだ。

これはサラ金に行くしかないな。

サラ金に行ったのはこの時が最初で最後である。惨めな気分だった。何を考えているんだろう。

駅前のプロミスへと行く途中、ふと思い立って、公衆電話から、日経のテレフォン株価情報に電話を入れた。

そして、その日の2時過ぎから突然大きな買いが入り、株価がものすごい勢いで戻りはじめていることを知った。





酒伊繊維はそれから4日間ストップ高を続け、ストップ高の止まった日に、僕はきれいに全株売り抜けた。

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