2009-04-15

山崎元

「お金持ちの気持ちが分かる総理大臣」が考えた追加経済対策|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン
少子化対策として、3~5歳の子供を持つ世帯を対象に、子供一人当たり3万6000円を1回だけ支給するという話が盛り込まれた。率直に言って、1 回のみの支給は、少子化対策にはなるまい(そもそも3~5歳の子供を今年中に作るのは無理だ!)。また不妊治療を受けやすくするといっているが、制度の必要性はよしとして、一時的に1回のみの支給であっていいわけがない。
 同じことは、医療・介護分野への対策にも言える。追加経済対策には、女性特有のがん対策(乳がんや子宮子けいがんの検診費用を免除する方針で、今年度の実施費用として約200億円を計上)、後期高齢者医療制度における保険料軽減の継続、介護施設の整備に向こう3年間3000億円を投入することなどが掲げられているが、介護施設の整備を除いては、医療・少子化対策の重要な要件である継続性がない。こうした、一回限りの施策が、今回の経済対策の中に雑多に盛り込まれていることは、金額だけ決めて後は積み上げた、哲学の欠如の証左ではないだろうか。

「お金持ちの気持ちが分かる総理大臣」が考えた追加経済対策|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン
政府がお金を使うことはやはり非効率的なのではないかと思わせる例は、教育対策に見られる。たとえば、追加経済対策には、パソコンを使って教材の内容を映し出せる電子黒板を公立校に配備したり、教員が使えるパソコンを増やしたりする「学校ICT(情報通信技術)化」事業に約4000億円を充てること、加えて小学生5~6年を対象に4月から始まった英語授業に対して約10億円の予算を組み、2万3000人の小学校教員に英語研修を実施することなどが書き込まれた。
 だが、いうまでもなく教育は内容が大切であり、足りないのは優秀な教師であり、教育の内容ではないのか。電子黒板ではあるまい。具体的には、教師のレベルアップや増員など、教育内容をグレードアップするために本来はもっと予算が使われるべきではないか。英語研修に10億円、対して学校ICTの機材購入には4000億円。この対比は何とも象徴的だ。経済対策が名目になると、機材購入でお金を使うことに重心が偏るのだろう。
 また、学校の屋根への太陽光発電施設の導入や校庭の芝生化に1000億円を計上、学校施設の耐震化事業にも約2000億円を充てるという。耐震化は確かに欠かせないが、学校の屋根に太陽光発電施設は本当に必要で効率的なのか。太陽光発電や芝生化に、教育内容を改善する積極的な意味があるわけではないだろう。ここでも機材の購入に支出が偏っている。主に公立校に対する投資だから、この部分に限って言えば、メリットは割合均等に行き渡り、貧しい人に対してより手厚くという意味合いはあるだろうが、総合的なおカネの使い方がまずいのではないか。また、高校生や私大生への授業料の減免措置や奨学金の拡充といっているが、たとえば、どういう私大に対して、どんな奨学金を出すのかよほどよく考えないと、悪く言えば、暇つぶしに補助金を出すことになる可能性があるのではないか。教育への支出は全体として評価できない。本来は、教師の増員、質の向上、さらに特に公立の中学・高校のカリキュラムの充実が必要ではないだろうか。

「お金持ちの気持ちが分かる総理大臣」が考えた追加経済対策|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン
配分のフェアネスから言っても、今この不景気の時に、車を買おうという人を後押しするのだから、これは明らかに余裕のある人に対してお金をつける政策だ。かつては輸出主導の景気回復のけん引役として頼られ、円安介入で側面支援してもらい、外需が崩れると今度は補助金で買い替えを国に促進してもらうとは、「自動車産業はそんなに偉いのか」と皮肉の一つも言いたくなる。こと環境に対しては、不必要な自動車が減るのが一番良い。

「お金持ちの気持ちが分かる総理大臣」が考えた追加経済対策|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン
視点を変えてみよう。非常に不評だった定額給付金にこの15兆円をまるまる使ったとすればどうなるのか。日本の人口約1億2700万人(平成17年の国勢調査)で割ると、1人あたり11万7000円となる。丸めて12万円とすれば、4人家族で48万円だ。普通の勤労者世帯の平均所得は年間400万円台だから、48万円は1割強に達する。その額をそっくりそのままもらったほうが、学校の電子黒板などにいろいろお金を使われるよりもよっぽどいいと思われる人は多いのではないか。総合的に見ると、今回の追加経済対策は、国民に対してお金の使途を強制するお節介の色彩が濃い。所得の再配分効果も、上から下を目指しているのか(the rich → the poor、これが普通)、下から上を目指しているのか定かでない。
 ところで、筆者は、追加経済対策が出てから、複数のメディアの取材を受け、その際、「景気対策の支出にはメリットはあっても、財政悪化が心配ではないか」といった誘導的な質問を多く受けた。テレビなどのメディアの場合、「〇」がこっちで、これは「×」と整理できると安心なのだろうが、財政支出は〇であるとして、財政赤字を×とするというのはどうだろうか。筆者は、財政赤字は喫緊の問題ではないと思っている。
 そもそもOECDの見通しでは今年来年の日本の消費者物価指数は、1%以上のマイナスになることが予想されている。デフレへの逆戻りだ。しかも、これだけ大きな需要の落ち込みがあるわけだから、赤字国債を出さないという選択肢は現実的ではない。むしろ赤字国債がきちんとファイナンスされるか、つまり日銀が長期国債の買い入れを増やして増発される国債をきちんと消化するかどうかが重要なポイントだ。国債増発で長期金利が上がると、設備投資の資金コストや住宅ローン金利が上昇し、悪影響が出る。
 日銀が国債を買い入れるとインフレにつながるから困るという意見も出るだろうが、当面はデフレなのだから、通貨の環境整備としてインフレ的な政策を行うことは構わないと考える。また、財政赤字も低水準の金利で国債がファイナンスされている限り喫緊の問題ではない(世代間の損得は、支出の行き先が関わるし、税制などで後からも調整可能だろう)。デフレ自体は、通貨およびその背後にある政府の債務への「過剰な信認」でもある。
 財政支出について一応メリットを認めつつ、財政赤字が問題なのでいつか増税しなければならないというパターンで話す人たちが多いのは、霞が関の側(一口に財務省とはいえない)からのすりこみの効果が大きいのではないだろうか。これは、霞ヶ関の官僚の利害(1.財政支出には多く関与したい、2.増税で将来の財源を確保したい)に誘導された見方だと思う。

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