2009-04-06

歴史とは、合意の上に成り立つ作り話以外の何物でもない。

忘れるという合意 - 池田信夫 blog

NHKは、いまだに「ドイツはナチの負の遺産を清算したが、日本は・・・」という図式で歴史を語ろうとしているようだが、これは神話にすぎない。本書は、欧州の戦後処理がいかに首尾一貫しない中途半端なものだったかを具体的に明らかにしている。

西ドイツが「戦後処理」を終えたあとの1951年、バイエルンでは判事・検事の94%、大蔵省職員の77%が元ナチ党員だった。新たに結成された西ドイツ外交団の43%が元SSで、17%が親衛隊かゲシュタポにつとめていた。アデナウアー首相の主任補佐官は、ユダヤ人の「最終解決策」をつくった責任者だった。公職追放された実業家も1950年代前半には「社会復帰」をとげ、ダイムラー=ベンツやクルップなどの経営者になった。

彼らが復権した理由は、日本と同じである。冷戦が始まり、経済の再建に彼らの力が必要だったからだ。こうした集団的な記憶喪失がなかったら、欧州の再建は不可能だっただろう、と本書は指摘する。戦争犯罪に手を貸したという点では、ほとんどすべてのドイツ人が戦争犯罪者であり、その一部だけを戦犯として処刑したニュルンベルク国際軍事裁判は、大部分のドイツ人を免罪する儀式だったのである。

ところがアジアでは、戦後60年以上たっても、不毛な「歴史論争」が蒸し返される。その違いは、欧州各国は互いに忘れることによる利益を共有していたが、中国と韓国は日本と利害を共有していないということだ。いまだに南京事件についての誇大な数字や慰安婦をめぐるデマゴギーを中韓の政府が流すのは、それが国内政治に利用でき、日本を攻撃しても失うものがないからだ。

戦争責任は法的には終わっており、現在の日本人のほとんどは戦争に参加したこともない。戦争責任を追及する政治的な意味はないのに、いつまでも歴史問題で混乱が続く原因は、日本人の「歴史認識」の不足ではなく、中韓の民主主義の未成熟(あるいは欠如)である。他のアジア諸国からは、そういう話はほとんど出ない。中韓に過去を忘れるという「大人の合意」ができず、日本国内に彼らのデマゴギーを支援する他民族中心主義が残っているかぎり、不毛な歴史論争はいつまでも続くだろう。

歴史とは、合意の上に成り立つ作り話以外の何物でもない。――ナポレオン

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