2008-11-19

不利な情報を探す

元機関投資家の「株で生活する方法」 投資日記: 不利な情報を探す。

最近のような時期においては、新聞や雑誌などでも、将来の明るい兆しに関する記事等よりも、「こんな懸念があるよ」、「このままだときっと、こんな酷い事になるよ」といった記事が紙面の多くを占めており(といっても、メディアの報道に関してはこれは今に限らず、状況の良い時も含めて大体においてそうである、というのも正しいように思いますが)、見る人によっては、それらの集合体に大きく影響され、自身の見通しまでも暗く出口の無いものに変わっていってしまう、或いは、悪いニュースを見れば不安になり、良いニュースを見れば希望を持ちといった、市場の動きのように変動性の高い、心理状態で物事を眺めている、方もいるかもしれません。


あまりにそれに囚われてしまうようであれば、そのような情報を遠ざける、というのも現時点での対処策として致し方ないのかもしれませんが、長期的な観点から投資・運用の勉強をしたいと考える方にとっては、むしろ、私からはそれとは全く逆の行動を強くお勧めします。


つまりそれは、「出来るだけ、不利な情報を求める」という事です。


そしてこれは、本来は現在のような状況のみならず、どのような状況下でも、投資家に限らずあらゆる意思決定者が、持っておくべき心構え・行動習性ではないかと思います。


現時点で経済等に関する明るくない情報を目にした時に、それを好ましいと思わない人々は、何らかの形でそれに反するポジション(株を持っている、職業を持っている、確定拠出年金を持っている、など)を取っているからそうであるはずで(逆にTOPIXをショートするのに全財産賭けている人にとっては、経済等に関する明るくない情報は、毎日が大学受験の合格通知のように、嬉しいお知らせであるでしょう)、そのような場合、何の情報も取り入れなければ、恐らく殆どの人が、自分の願望や期待に影響された、「なんとなくの、希望的観測」を自分の考えの中核に置いてしまうものだと思います。


それに対し、世界経済や株式市場は、「貴方がどんな希望的観測を持っているかは知らず」、更に、「貴方がどんなポジションを持っているか、全く知らない」ものですから、皆さんの希望的観測とは全く独立的に、物事を展開していきます。


長期の投資・運用、或いは仕事でもそうだと思いますが、の要諦は、その展開をある程度の誤差の範囲内で予測した上で必要な対処をしておく、事ですが、人はその取っ掛かりとしてまず、「自分の願望というのは物事を予測する上で何の役にも立たない、むしろ、その予測を歪め易いという点からは、意識的にそれを排除する時間を取る必要がある」事を意識すべきではないかと思います。


そしてその為の簡単な方法の一つは、「自分を不利な情報に出来るだけ長い時間囲ませること」です。


そして私が見る限り、こういったプロセスというのは、ある日突然始めてごらん、と言っても普段からの習慣が無い人は出来ないもので、また、いきなりそれらに晒すと、自分の考えを作る前に、それらのネガティブな情報に圧倒されてしまう傾向があるようで、それらを踏まえると、望ましいリスク管理のバランスを学ぶ為には、日頃からそのような習慣を少しずつ、浸透させていく必要があるように思います。


で、今のような時というのは、ある意味ではそのような情報には事欠きませんし、何よりも、その辺の人をつかまえて意見を尋ねても、概ね大体同じような、ネガティブな意見が出てくるような風潮がありますから、「独立して自分の頭で考える」トレーニングをする為には最適な環境だと思います。


結論が同じようにネガティブな見解になったとしても、他の人々の意見の中のどのような論旨に自分は同調しネガティブな意見を固めたのか、或いは反論を固めたのであれば、自分の拠り所とするものは何なのか、それを明確にしていき、それを時間と共に見直して維持したり、修正したり、しながら過ごしつつ、一定の期間経過後にはそれらの評価(正しかったのか、間違っていたのか、どの部分が正しく、どの部分が間違っていたのか、何故正しくあれたのか、何故間違ったのか、今後も正しくあれる為には何が出来るか、今後間違いを減らす為には何が出来るか)を行えば、


これらのことをせずに日々の情報に受身的に触れ続けた場合と比較し、遥かに多くのことを学び取る事が出来るはずで、それは、長期投資・運用の技術向上にも直結するものであろうと思います。

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